ROI事件ファイル No.415『一人の頭脳に依存する危うさ』
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一人の頭脳に依存する危うさ
第一章:72歳の記憶
「田中さんがいなければ、システムが止まります」
GloTech Solutions社のCTOは、一枚の名刺を手渡した。そこには「田中電算サービス 代表 田中太郎」と書かれている。
「当社のIBMiシステムは、24時間365日稼働しています。在庫管理、受発注処理、会計——全ての業務がこのシステム上で動いている。そして、その保守を15年間、田中さん一人に任せてきました」
CTOの声には、切迫感があった。
「田中さんは今年で72歳。そろそろ引退を考えているようです。しかし、システムの仕様書は古く、最新の改修内容は田中さんの頭の中にしかありません」
彼が広げた資料には、過去のトラブル対応履歴が記録されていた。深夜のシステムダウン、データベースの異常、通信エラー——全て、田中さんの携帯電話一本で解決されてきた。
「先月、田中さんが入院されました。幸い軽症でしたが、その三日間、システムに異常が起きたらどうしようと、私は眠れませんでした」
「ドキュメントはないのですか」と私は尋ねた。
「15年前の初期導入時の資料はあります」とCTOが答えた。「しかし、その後の改修履歴は、ほとんど記録されていません。田中さんに聞けば分かる、という状態が常態化していたのです」
それは、属人化という名の時限爆弾だった。
第二章:四つの窓
「この案件には、SWOTモデルでの分析が適しています」
Geminiがホワイトボードに、四つの象限を描いた。Strengths(強み)、Weaknesses(弱み)、Opportunities(機会)、Threats(脅威)——戦略立案の基本フレームワークだ。
「SWOTモデルとは」と私は説明を始めた。「内部環境(強み・弱み)と外部環境(機会・脅威)の四つの視点から、現状を俯瞰する手法です」
「そして重要なのは」とClaudeが補足した。「これら四つの要素の組み合わせから、戦略の方向性を見出すことです」
CTOが尋ねた。「しかし、私たちの状況は明らかに『弱み』と『脅威』しかないように思えるのですが」
「そうでしょうか」と私は答えた。「まず、冷静に四つの象限を埋めてみましょう」
[Strengths:強み]
「GloTech Solutions社の強みは何ですか」とGeminiが尋ねた。
CTOが考え込んだ。「強み、ですか……」
「システムは15年間、安定稼働しているのですよね」とClaudeが促した。
「ええ」とCTOが頷いた。「大きなトラブルは年に1〜2回程度。ダウンタイムも最小限です」
「それは大きな強みです」と私が指摘した。「システムの安定性と、長年の運用実績。これは、新しい保守会社に引き継ぐ際の土台になります」
「他には」とGeminiが促した。
「IBMiというプラットフォームは、堅牢で信頼性が高い。そして、当社の業務フローに最適化されています」
「つまり」とClaudeが整理した。「Strengths——15年間の安定稼働実績、堅牢なIBMiプラットフォーム、業務に最適化されたシステム構成。これらは、今後も活かすべき強みです」
[Weaknesses:弱み]
「次に、弱みです」と私が続けた。
CTOが即座に答えた。「田中さんへの依存。これに尽きます」
「もう少し具体的に分解してみましょう」とGeminiが提案した。
「ドキュメントの不足」とCTOが挙げた。「改修履歴の未記録。トラブルシューティングのノウハウの属人化」
「社内にIBMiの技術者がいないことも弱みですね」とClaudeが指摘した。
「ええ。IT部門のメンバーは、WindowsやLinuxには詳しいですが、IBMiの経験はありません」
「つまり」と私が整理した。「Weaknesses——特定個人への依存、ドキュメント不足、社内技術者の不在、ナレッジの未継承。これらが、現状の脆弱性を生んでいます」
[Opportunities:機会]
「次は、機会——外部環境におけるプラスの要因です」とGeminiが説明した。
CTOが不思議そうな顔をした。「プラスの要因、ですか」
「例えば」とClaudeが提案した。「IBMiの保守を専門とする企業は、市場にありますか」
「ええ、いくつか存在します」とCTOが答えた。「大手のIT企業から、IBMi専門の中小企業まで」
「それは機会です」と私が指摘した。「保守を引き継げる候補が存在する。そして、彼らは複数の顧客を持っているため、組織として対応できる体制がある」
「他には」とGeminiが促した。
「最近、クラウドへの移行支援も充実してきています。IBMiをクラウド環境で運用する選択肢もあります」
「つまり」とClaudeが整理した。「Opportunities——専門保守会社の存在、組織的な保守体制への移行可能性、クラウド移行という選択肢。これらは、現状を改善する外部の力です」
[Threats:脅威]
「最後に、脅威です」と私が続けた。
「田中さんの引退」とCTOが即答した。「それが最大の脅威です」
「他には」とGeminiが尋ねた。
「田中さんの急病や事故。突然の対応不能」
「IBMi技術者の市場での減少も脅威ですね」とClaudeが付け加えた。「IBMiは成熟したプラットフォームですが、若手技術者は減少傾向にあります」
「そして」と私が指摘した。「競合他社が先進的なシステムに移行する中、GloTech Solutions社だけが古いシステムに依存し続けるリスクもあります」
「つまり」とGeminiが整理した。「Threats——保守担当者の引退リスク、突然の対応不能リスク、技術者人材の市場減少、競合との技術格差拡大。これらが、外部からの脅威です」
第三章:戦略の十字路
「SWOTの四象限が整理できました」と私が言った。「次は、これらを組み合わせて、戦略を導き出します」
CTOが尋ねた。「組み合わせる、とは」
「四つの戦略パターンがあります」とClaudeが説明を始めた。
「一つ目、SO戦略——強みを活かして機会を掴む。GloTech Solutions社の場合、『安定稼働実績』という強みを武器に、『専門保守会社』という機会と組む戦略です」
「二つ目、ST戦略——強みで脅威を回避する。『堅牢なIBMi』という強みを維持しながら、『保守担当者の引退』という脅威に備える戦略です」
「三つ目、WO戦略——弱みを機会で補う。『ドキュメント不足』という弱みを、『専門保守会社のノウハウ』という機会で補完する戦略です」
「四つ目、WT戦略——弱みと脅威の両方に対処する。『属人化』という弱みと『技術者減少』という脅威の両方に対応するため、『組織的な保守体制』へ移行する戦略です」
Geminiが整理した。「GloTech Solutions社の場合、最も重要なのはWT戦略——属人化の解消と、将来の技術者不足への備えです」
「具体的には」と私が提案した。「三段階のアプローチです」
「第一段階、田中さんの協力を得て、徹底的なナレッジ移転を行う。三ヶ月間、専門保守会社のエンジニアが田中さんに同行し、システム構成、トラブル対応手順、改修履歴を全て文書化します」
「第二段階、並行運用期間を設ける。六ヶ月間、田中さんと専門保守会社の両方が対応できる体制を作ります。問題が起きた時、まず専門保守会社が対応し、解決できなければ田中さんがバックアップする」
「第三段階、完全移行。並行運用で問題がないことを確認してから、専門保守会社に完全に引き継ぎます。ただし、田中さんには顧問として、緊急時のアドバイザリー契約を結びます」
CTOが尋ねた。「コストはどれくらいですか」
「現在、田中さんへの月額保守費用は約30万円とのことでした」とGeminiが確認した。「専門保守会社の場合、月額約80万円。年間で600万円の増加です」
「しかし」とClaudeが付け加えた。「属人化リスクが解消され、24時間365日の対応体制が整い、複数のエンジニアが対応できるようになります」
「そして最も重要なのは」と私が強調した。「田中さんの引退という時限爆弾が、確実に解除されることです」
第四章:リスクの可視化
CTOは、ホワイトボードに描かれたSWOT分析を見つめていた。
「これまで、『田中さんに頼るしかない』と思考停止していました。しかし、SWOTで整理すると、私たちには活かすべき強みがあり、掴むべき機会があったのですね」
「SWOTモデルの価値は」と私は答えた。「問題を多面的に見ることです。弱みだけに注目すれば絶望しますが、強みと機会も見えれば、打開策が見つかります」
Claudeが静かに言葉を添えた。「そして、脅威を可視化することで、『いつか対処しなければ』という漠然とした不安が、『今すぐ対処すべき』という明確な行動に変わります」
CTOが立ち上がり、深く頭を下げた。「ありがとうございます。来週、田中さんと専門保守会社に相談します」
彼が去った後、Geminiが感心したように言った。「SWOTモデルは、複雑な状況を整理する力がありますね」
「ああ」と私は答えた。「しかし、SWOTの真価は、整理することではなく、行動を促すことにある。四つの窓を通して現状を見ることで、『やるべきこと』が自然と浮かび上がってくる」
窓の外では、冬の夕暮れが事務所を染めていた。
六ヶ月後、GloTech Solutions社から報告が届いた。
専門保守会社へのナレッジ移転は順調に進み、並行運用期間中に発生した5件のトラブルは、全て専門保守会社が単独で解決したという。
そして、田中さんは正式に引退し、顧問契約を結んだ。月に一度、専門保守会社のエンジニアと会い、システムの歴史や設計思想を語る「伝承の会」が開かれているという。
15年間一人の頭脳に依存していたシステムは、組織の力で支えられるようになった。
「強み・弱み・機会・脅威——四つの窓から現状を見ることで、絶望は戦略に変わる。SWOTモデルが教えるのは、問題を多面的に捉え、内部と外部の力を組み合わせて、確実な一歩を踏み出すこと。そして、小さな移行期間で再現性を確認することが、大きなリスクを回避する道である」