ROI事件ファイル No.418『五つの「なぜ」が掘る井戸』
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五つの「なぜ」が掘る井戸
第一章:表示という名の迷路
「新製品のパッケージデザインに、二週間かかっています」
Innovative Solutions社の商品開発部長は、机の上に積まれたチェックシートを指差した。それぞれに、びっしりと赤ペンの修正指示が書き込まれている。
「当社は食品メーカーです。新製品を開発する際、パッケージデザインの表示チェックが必須になります。原材料名、アレルゲン表示、栄養成分表示、賞味期限の記載位置——これらは全て、食品表示法で厳密に規定されています」
商品開発部長の声には、疲労が滲んでいた。
「デザイナーが初稿を作成すると、まず法務部が法的要件をチェックします。次に品質管理部が成分表示をチェックします。そして製造部が実現可能性をチェックします。各部署を順番に回るため、一周するのに三日かかります」
彼が取り出した資料には、過去一年間のデザイン承認プロセスが記録されていた。平均で五回の修正が発生し、最終承認までに約14日。
「さらに問題なのは、広告代理店とのやり取りです。新製品発売前にTVCMや店頭POPを準備する必要がありますが、パッケージデザインが確定しないと、広告展開が遅れます」
「つまり」とClaudeが整理した。「デザイン承認の遅れが、マーケティング全体のボトルネックになっている、と」
「その通りです」と商品開発部長が頷いた。「そこで、AIを活用した業務効率化を検討しています。しかし、何がボトルネックで、何を自動化すべきなのか——表面的な問題しか見えていないのです」
それは、症状だけを見て、病因を見ていない状態だった。
第二章:井戸を掘る問い
「この案件には、5WHYSモデルでのアプローチが最適です」
Geminiがホワイトボードに、五段の階段を描いた。それぞれの段に「Why?」という文字が書かれている。
「5WHYSモデルとは」と私は説明を始めた。「『なぜ』を五回繰り返すことで、問題の根本原因に到達する手法です」
「多くの改善活動が失敗するのは」とClaudeが続けた。「表面的な症状に対処して満足するからです。しかし、根本原因を解決しなければ、問題は形を変えて再発します」
商品開発部長が尋ねた。「しかし、なぜ『五回』なのですか」
「五回は目安です」と私は答えた。「重要なのは、『これ以上掘り下げられない』というところまで問い続けることです」
[第一の問い:なぜ表示チェックに時間がかかるのか]
「では、最初の問いです」とGeminiが始めた。「なぜ、表示チェックに二週間もかかるのですか」
商品開発部長が答えた。「各部署を順番に回る必要があるからです」
「なぜ、順番に回る必要があるのですか」と私は問うた。
「各部署が同時にチェックできないからです」
「これが第一の『なぜ』への答えです」とClaudeが整理した。「各部署が同時にチェックできない——では、なぜ同時にチェックできないのか、が次の問いになります」
[第二の問い:なぜ同時にチェックできないのか]
「なぜ、各部署は同時にチェックできないのですか」とGeminiが尋ねた。
商品開発部長が考え込んだ。「チェック項目が紙のシートに記録されており、それを順番に回覧しているからです」
「紙のシートですか」と私は確認した。
「ええ。法務部がチェックして押印し、次に品質管理部に回す。品質管理部がチェックして押印し、製造部に回す——この流れです」
「つまり」とClaudeが指摘した。「物理的な制約が、並行作業を妨げている。では、なぜ紙のシートを使っているのか、が次の問いです」
[第三の問い:なぜ紙のシートを使っているのか]
「なぜ、デジタルツールではなく、紙のシートを使っているのですか」と私は尋ねた。
商品開発部長が答えた。「適切なデジタルツールが導入されていないからです」
「なぜ、導入されていないのですか」とGeminiが問うた。
商品開発部長が言葉に詰まった。「それは……デジタル化の必要性を、経営層に訴えてこなかったからです」
「では、なぜ訴えてこなかったのか」とClaudeが続けた。
「明確な費用対効果を示せなかったからです。『紙でもできている』と言われれば、反論できませんでした」
「これが第三の『なぜ』です」と私が整理した。「費用対効果が示せなかった——では、なぜ費用対効果が示せなかったのか」
[第四の問い:なぜ費用対効果が示せなかったのか]
「なぜ、デジタル化の費用対効果を示せなかったのですか」とGeminiが尋ねた。
商品開発部長が深く考え込んだ。「現状の業務にかかっているコストを、正確に把握していなかったからです」
「例えば」と私は促した。
「表示チェックに各部署がどれだけの時間を使っているか、測定していませんでした。広告代理店との無駄なやり取りがどれだけ発生しているかも、記録していませんでした」
「つまり」とClaudeが整理した。「『見えないコスト』は、投資判断の材料にならない。では、なぜコストを測定していなかったのか」
[第五の問い:なぜコストを測定していなかったのか]
「なぜ、業務コストを測定していなかったのですか」と私は尋ねた。
商品開発部長が静かに答えた。「会社全体として、デジタル化の優先順位が低かったからです」
「なぜ、優先順位が低かったのですか」とGeminiが問うた。
「経営層が、デジタル化の戦略的重要性を認識していなかったからです」
部屋に沈黙が流れた。
「これが、根本原因です」と私は静かに言った。「デザイン承認に時間がかかる——その根本には、『経営層のデジタル化への理解不足』がある」
第三章:根から枝へ
商品開発部長は、ホワイトボードに描かれた五つの「なぜ」を見つめていた。
「最初は、『AIツールを導入すれば解決する』と思っていました。しかし、5WHYSで掘り下げると、問題の根は、もっと深いところにあったのですね」
「5WHYSモデルの本質は」と私は答えた。「症状と原因を区別することです」
Claudeが説明した。「『表示チェックに時間がかかる』は症状です。『各部署が同時にチェックできない』も症状です。しかし、『経営層のデジタル化への理解不足』が根本原因です」
「では」と商品開発部長が尋ねた。「根本原因を解決するには、どうすれば」
「逆順で対処します」とGeminiが答えた。「根から枝へ、順番に解決していくのです」
私はホワイトボードに、解決策を書き始めた。
「第一ステップ:経営層へのプレゼンテーション。現状の業務コストを可視化し、デジタル化の費用対効果を示します」
「具体的には」とClaudeが補足した。「表示チェックに各部署が年間どれだけの時間を使っているか、測定してください。一ヶ月間、全ての承認プロセスで時間を記録します」
「おそらく」とGeminiが試算した。「法務部、品質管理部、製造部の担当者が、それぞれ週に5時間をチェック作業に費やしているでしょう。三部署で週15時間、年間約720時間。人件費を時給3,000円とすると、年間216万円のコストです」
「第二ステップ:デジタルツールの選定」と私が続けた。「クラウド型のワークフロー管理システムを導入し、各部署が同時にチェックできる環境を作ります」
「第三ステップ:パイロット運用」とClaudeが提案した。「最初の一ヶ月は、一つの新製品だけで試験運用します。従来の紙のプロセスと並行で行い、どれだけ時間が短縮されるかを測定します」
「そして第四ステップ」とGeminiが続けた。「効果が確認できたら、全社展開します」
商品開発部長が尋ねた。「しかし、経営層を説得できるでしょうか」
「5WHYSで到達した根本原因は」と私は答えた。「同時に、説得の鍵でもあります。『経営層がデジタル化の重要性を認識していない』——ならば、その重要性を数字で示せばいいのです」
第四章:井戸の底から
「5WHYSモデルには、もう一つ重要な側面があります」とClaudeが言った。
「それは、『誰が悪い』ではなく『何が悪い』を探すことです」
商品開発部長が頷いた。「確かに、『なぜ』を繰り返す中で、誰かを責めるのではなく、仕組みの問題が見えてきました」
「そして」とGeminiが付け加えた。「根本原因に到達することで、場当たり的な対処ではなく、構造的な解決策が見えてきます」
商品開発部長が立ち上がり、深く頭を下げた。「ありがとうございます。来週、一ヶ月間の業務時間測定を開始します」
彼が去った後、Claudeが感心したように言った。「5WHYSは、シンプルですが深いですね」
「ああ」と私は答えた。「しかし、5WHYSの難しさは、『なぜ』を問い続ける勇気にある。深く掘れば掘るほど、自分たちの組織の根本的な問題に直面する。それから目を背けないことが、真の改善への第一歩だ」
窓の外では、冬の陽光が事務所を照らしていた。
二ヶ月後、Innovative Solutions社から報告が届いた。
一ヶ月間の業務時間測定の結果、表示チェックに年間約800時間、人件費換算で240万円が費やされていることが判明したという。
この数字を基に経営会議でプレゼンテーションを行ったところ、デジタル化予算が承認された。
そして、パイロット運用では、承認プロセスが14日から5日に短縮された。各部署が同時にチェックできるようになったことで、待ち時間が9日分削減されたのだ。
五つの「なぜ」は、確かに井戸の底に到達していた。
「問題の表面だけを見ていては、真の解決には至らない。『なぜ』を五回繰り返し、症状から原因へ、原因からさらに深い原因へ——井戸を掘るように問いを重ねることで、根本原因に到達する。そして、根から枝へと順番に解決することで、問題は二度と再発しない。それが、5WHYSモデルの力である」