ROI事件ファイル No.458『問いのない入札』
![]()
問いのない入札
第一章:三つの部署の三つの答え
「同じ質問を三つの部署に送ったら、三つの違う答えが返ってきました」
Global Meditech社の業務改革担当、川口真一氏は、そう言いながらメールの印刷物を三枚、テーブルに広げた。「患者さんの入院手続きに必要な書類は何ですか」という同じ質問に対して、医事課、病棟、外来——それぞれの返答が並んでいる。内容が微妙に、そして本質的に食い違っていた。
「院内の問い合わせ対応の属人化が深刻です。マニュアルはあるが分かりにくく、問い合わせ先が部署によって違う。担当者が不在の時は回答が止まる。こういう状況を改善するために、チャットボットの導入を検討しています」
「チャットボットを入れる前に」と私は確認した。「問い合わせ件数と、対応に要している工数を把握していますか」
川口氏が少し間を置いた。「正確な数字はないのですが——主要三部署の担当者から聞いたところ、一日あたり合計で三十件前後の問い合わせ対応をしているようです。一件あたり平均十分とすると、三部署合計で一日に約五時間が問い合わせ対応に使われている計算です」
「月に換算すると」とGeminiが計算した。「二十営業日で百時間。三部署合計の、問い合わせ対応だけのコストです」
「チャットボットで対応できる質問は、全体の何割くらいだと思いますか」とClaudeが問いかけた。
川口氏が考えた。「繰り返し来る定型的な質問は、全体の六割から七割はあると思います。入院書類、手続きの流れ、担当部署の案内——これらは、ほぼ毎日同じような内容で問い合わせが来ます」
「では」と私が整理した。「チャットボットで対応できる六割が自動化されると、月に六十時間が医療スタッフに戻ってくる。この数字が、今日の依頼の出発点です」
第二章:RFPが問いを作る
「この案件には、RFPが必要です」
Claudeがホワイトボードに大きくRFPと書いた。Request For Proposal——提案依頼書。
「RFPとは、ベンダーに提案を依頼する際に提出する文書です」と私が説明した。「しかし、RFPの本当の価値は、ベンダーへの伝達ではありません。自社が何を求めているかを、言語化する作業そのものにあります。多くの失敗したシステム導入は、RFPを作らずにベンダーの提案を受け取ることから始まります。問いが明確でないまま提案を受けると、ベンダーが得意なものを買わされることになる」
「三つの部署が、同じ質問に三つの違う答えを返した」と私が続けた。「これはチャットボットの問題ではなく、RFPを作る前に解決すべき問題です。チャットボットは情報を届けるツールですが、届ける情報が統一されていなければ、属人化をそのままデジタル化するだけになります」
「まず、Between The Rowsを使いましょう」とGeminiが提案した。「三つの部署のマニュアルと対応ガイドラインを入力し、矛盾点と空白を抽出します。チャットボットに何を学ばせるかを決める前に、現在の情報に何が欠けているかを特定する」
ツールにマニュアル類を入力すると、分析結果が返ってきた。
「三部署間で表現が矛盾している箇所が十七ヶ所」とGeminiが読み上げた。「情報が欠落していて問い合わせが発生しやすい箇所が二十三ヶ所。これらが整理されると、チャットボットが回答すべき内容の輪郭が見えます」
[RFPの四つの柱]
「RFPを作る際に、四つの柱を立ててください」とClaudeが説明した。
「第一柱——解決したい課題の定義です。月百時間の問い合わせ対応コストを、六十時間削減する。この数字をRFPに明示することで、ベンダーは成果の基準を理解します。機能の羅列ではなく、課題の数値化から始めることが鍵です」
「第二柱——医療現場特有の制約条件です」とGeminiが続けた。「個人情報保護法と医療情報の取り扱いガイドライン、院内システムとの連携要件、スタッフが使用する端末環境——これらを明示しないと、一般的なチャットボットを提案されます。医療業界での導入実績の有無も、選定基準に含めてください」
「第三柱——情報更新の運用体制です」とClaudeが続けた。「チャットボットは導入して終わりではありません。マニュアルが更新されるたびに、チャットボットの回答も更新する運用が必要です。三部署の誰が更新を担当するか、更新のワークフローがどうなるか——これをRFPに含めることで、ベンダーはアフターサポートの設計まで提案に含めます」
「第四柱——成功の測定方法です」と私が締めた。「三ヶ月後に何を測って成功と判断するか。問い合わせ対応件数の削減率、チャットボット解決率、スタッフの満足度——測定方法をRFPに書くことで、ベンダーとの認識齟齬を防ぎます」
川口氏が真剣な顔でメモを取った。「チャットボットを選ぶ前に、やることがこれだけあるとは思いませんでした」
「RFPを作る作業は」と私が応じた。「自社の問題を整理する作業です。問題が整理されると、どんなツールが必要かが見えてくる。逆に言えば、RFPなしにツールを先に決めると、問題に合わないツールを買うことになります」
第三章:沈黙のコストに名前をつける
川口氏が資料を整理しながら、静かに言った。
「三部署の担当者に、問い合わせ対応に疲れていないか聞いたことがありました。みんな『大丈夫です』と答えました。でも、数字にしてみると月百時間が消えていた。沈黙のコストを、初めて見た気がします」
「医療現場では」とClaudeが付け加えた。「業務負荷を口にしない文化があることが多い。だからこそ、数字が問いを作ることが重要です。月百時間という数字は、改善の承認を取る際の最も強い根拠でもあります。RFPは、その数字をベンダーへの要件として伝える橋渡しです」
「来週、三部署のリーダーを集めてワークショップを開いてください」とGeminiが提案した。「Between The Rowsで抽出した矛盾箇所を一緒に確認し、正しい情報を合意する。その結果がRFPの情報要件になります。ワークショップを先に行うことで、チャットボット導入後の情報更新体制も自然に決まります」
川口氏が立ち上がった。「まず情報を整理して、それをRFPに落とし込んでからベンダーを探す。その順序で動きます」
四ヶ月後、川口氏から報告が届いた。
ワークショップで三部署の情報矛盾を解消し、統一マニュアルを作成。その後RFPを作成し、五社に送付。医療業界での実績と情報更新サポートを重視した選定基準で、一社を選定した。
チャットボット稼働から三ヶ月で、問い合わせ対応件数は六十三パーセント削減。スタッフへのアンケートでは、「同じことを何度も説明しなくて済むようになった」という声が多数寄せられた。
川口氏は報告書にこう記していた。「RFPを作る前に情報を整理したことが、最大の成功要因だったと思います。統一マニュアルができたことで、チャットボットが動く前から、すでに部署間の齟齬が減っていました。ツールが課題を解決したのではなく、ツールを準備する過程が課題を解決し始めていた」
問いのなかった入札が、問いを持って答えを見つけた日だった。
「ベンダーに提案を求める前に、自分たちが何を求めているかを言語化する作業がある。RFPはその言語化の道具だ。問いが曖昧なまま入札を行うと、ベンダーが得意なものを選ぶことになる。月百時間という沈黙のコストに名前をつけた時、問いは初めて鋭くなる。鋭い問いには、鋭い提案が返ってくる。そして、提案を評価できるのは、問いを持っている側だけだ」
関連ファイル
使用ツール
- Between The Rows — マニュアル・ガイドラインの矛盾点と情報空白の自動抽出