ROI事件ファイル No.462『誰も触れなかったシステム』
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誰も触れなかったシステム
第一章:作った人間がいない
「システムの担当者が退職して、もう三年です。誰も、中身を把握していない」
TechNova社の管理部長、田所靖子氏は、そう言いながら画面を指した。古いフルスクラッチの基幹システムが、起動している。フォントは小さく、ボタンの配置に規則性がない。どこを押せば何が起きるか、見ただけでは判断できない。
「以前在籍していた社内SEが、ほぼ一人で作ったものです」と田所氏が続けた。「非常に優秀な方でしたが、退職の際に十分な引き継ぎができなかった。今は外部の保守会社に委託していますが、バージョンアップのたびに高額な費用が発生します。先月のアップデートは、八十万円でした」
「一回のアップデートで、八十万円」とClaudeが確認した。
「年に一回から二回あります」と田所氏が頷いた。「それだけではない。社員が操作でつまずくたびに、保守会社に問い合わせが発生します。その対応費用も、月次で積み上がっている。新しく入社した社員が使い方を覚えるのに、平均で二ヶ月かかると人事から聞いています」
「現場の社員は、このシステムをどう感じていますか」と私は尋ねた。
田所氏が苦笑した。「怖い、と言います。押したら何かが消えそう、と。だから、使わなければならない機能だけ使って、触れる範囲を自分で狭めている。本来使えるはずの機能の、おそらく三分の一も使われていない」
「複雑さが、複雑さを呼んでいる」とGeminiが静かに言った。「使われない機能が残るから、システム全体がわかりにくくなる。わかりにくいから、また使われない」
田所氏が頷いた。「その悪循環を断ち切りたい。ノーコードへの移行を検討しているが、何をどう整理すればいいかが見えていない」
第二章:ECRSが問う四つの刃
「この案件には、ECRSが必要です」
Claudeがホワイトボードに四つの文字を書いた。E・C・R・S。
「ECRSとは、Eliminate(排除)、Combine(統合)、Rearrange(再配置)、Simplify(簡素化)の四段階で、業務やシステムの無駄を切り落とすフレームワークです」と私が説明した。「新しいシステムを入れる前に、今あるものを解剖する。何を捨て、何を残し、何を組み替え、何をシンプルにするか——この順序で考えることで、ノーコードへの移行が設計から始まります」
「まず現状のコストを測りましょう」とGeminiがROI Polygraphを開いた。田所氏から提供されていた保守ログと、社員へのヒアリング結果を入力する。
「数字が出ました」とGeminiが画面を指した。「一般社員二十名の操作起因によるミスと問い合わせが、月平均三十時間。時給二千八百円で換算すると、月八万四千円。保守会社への委託対応が月四十時間、時給四千五百円換算で月十八万円。合計で月二十六万四千円が、このシステムの運用コストとして発生しています。年間換算で三百十六万八千円です」
田所氏の表情が固まった。「保守費用だけ見ていました。社員の時間コストは、計算したことがなかった」
「では、ECRSで解剖を始めます」と私が続けた。
[E——Eliminate:使われていない機能を排除する]
「最初に、現在のシステムで実際に使われている機能を洗い出してください」とClaudeが言った。「使用頻度のログが取れないなら、全社員に一枚の紙を配ってください。『あなたが毎週使う機能』と『あなたが一度も使ったことがない機能』の二列で」
一週間後、田所氏が集計結果を持ってきた。機能数は全部で四十七。そのうち、誰も使ったことがないと回答した機能が十九。月に一回以下しか使われない機能が八。
「四十七のうち、二十七が実質的に使われていない」とGeminiが整理した。「これをノーコードツールに移植すれば、複雑さをそのまま持ち込むことになります。まず二十七を捨てることから始めます」
「捨てることへの抵抗はありますか」と私が田所氏に確認した。
「あります」と田所氏が即答した。「いつか使うかもしれないと思うと、捨てられない」
「その感覚が、複雑さの正体です」とClaudeが静かに言った。「いつか使うかもしれない機能は、今使われていない機能です。システムに優しい嘘をつかせてはいけない」
[C——Combine:重複している機能を統合する]
「残った二十の機能のうち、目的が重なっているものを統合します」とGeminiが続けた。「例えば、顧客情報の入力と案件情報の入力が別画面になっている場合、一画面で完結できるなら一つにする。重複は、開発者の都合で生まれたものです。使う側の都合で、組み直します」
田所氏がリストを眺めながら言った。「顧客マスタと発注先マスタが別々になっています。実際には同じ会社のことを登録しているケースが多い」
「それが統合の候補です」とClaudeが言った。「一つに束ねることで、入力ミスも減ります。同じ情報を二か所に入れる必要がなくなれば、保守会社への問い合わせも減る」
[R——Rearrange:操作の順序を組み替える]
「次に、残った機能の使用頻度順に画面の配置を組み替えます」と私が続けた。「最も使われる機能が、最も遠い場所にあることがよくある。開発者が追加した順番で並んでいるからです」
「ノーコードツールでは、この配置が自由に変えられます」とGeminiが補足した。「トップ画面に出るのは、全社員が毎日使う三つだけ。残りは二階層目以降に置く。これだけで、新入社員の習熟期間が変わります」
「今は二ヶ月かかっている」と田所氏が言った。
「三週間以下に圧縮できる見込みです」とClaudeが答えた。「頻度順に並んでいれば、使い始めれば自然に覚えます。迷わない設計が、研修コストを下げます」
[S——Simplify:全体を最もシンプルな形に整える]
「最後に、移植先のノーコードツールを選びます」と私が整理した。「ECRSで整理した結果、必要な機能は二十。そのうち統合後は十五前後になる見込みです。この規模であれば、市場の標準的なノーコードツールで対応できます。追加開発なし、カスタマイズ最小限で始める。それがSimplifyの終点です」
「ROI Proposal Generatorでコスト比較を出しましょう」とGeminiが提案した。
現行システムの年間コストと、ノーコード移行後の試算が並んだ。
- 現行:保守委託年間二百万円+アップデート費用年間百二十万円+社員操作ロス年間百万円=年間四百二十万円
- ノーコード移行後:ツール費用年間三十六万円+初期設定費用五十万円(初年度のみ)+社員操作ロス削減後年間五十万円=初年度百三十六万円、二年目以降八十六万円
- 削減効果:初年度二百八十四万円、二年目以降三百三十四万円の削減
「回収期間は」と田所氏が身を乗り出した。
「初期費用五十万円に対して、月次削減効果が約十三万円」とGeminiが答えた。「四ヶ月で回収できます」
第三章:捨てることで見えてくる
田所氏がホワイトボードのECRSの図を見ながら言った。
「捨てることを、ずっと怖がっていました。前任者が作ったものへの敬意というか——でも、誰も使っていない機能を残すことは、前任者への敬意ではないですね」
「前任者が作った目的を引き継ぐことが、本当の敬意です」とClaudeが言った。「機能を引き継ぐことではない。当時、そのシステムは最善でした。今の最善は、別の形をしている」
「ECRSの本質は」と私が続けた。「削ることではなく、残すべきものを見つけることです。四十七の機能のうち、本当に必要だったのは二十だった。その二十が、今のTechNova社の業務の骨格です。新しいシステムは、その骨格の上に立てる」
田所氏が静かに頷いた。「来週から、移植先のノーコードツールの選定を始めます。今日決めた二十の機能リストを持って」
「三ヶ月後に、また教えてください」とGeminiが言った。
第四章:誰もが触れるシステムになった日
五ヶ月後、田所氏から報告が届いた。
ノーコードツールへの移行は、初期設定から稼働まで六週間で完了した。新入社員の習熟期間は、二ヶ月から十八日に短縮。「怖い」という声は聞かれなくなった、と田所氏は記していた。
保守会社への問い合わせ件数は、移行前の月平均十五件から三件以下に減少。月次の保守コストは十八万円から五万円台に圧縮された。社員の操作ロス時間も月三十時間から十二時間に削減され、合計の月次削減効果は十三万二千円——試算通りの数字が出た。
田所氏の報告書には、最後にこう記されていた。「移行作業の中で、捨てた機能のいくつかが『やはり必要だった』と気づいた瞬間がありました。でも実際に確認してみると、代替手段がすでにノーコードツールの標準機能として存在していました。いつか使うかもしれない、は、すでにある、でした」
誰も触れなかったシステムが、誰もが使えるシステムになった日だった。
「複雑なシステムは、複雑な問題を解くために作られたのではない。複雑な時代に、少しずつ機能が積み上げられた結果だ。ECRSが問う四つの刃——排除、統合、再配置、簡素化——は、積み上げの順序を逆に解いていく作業だ。捨てることへの恐怖は、作ったものへの敬意から来る。しかし、誰も使わない機能を守ることは、敬意ではなく停滞だ。本当に必要なものは、削った後に残るものの中にある」
関連ファイル
使用ツール
- ROI Polygraph — 保守コスト・社員操作ロスの工数可視化
- ROI Proposal Generator — 現行システムvsノーコード移行の投資回収シミュレーション