ROI事件ファイル No.479『資料が多すぎて、話せない』
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資料が多すぎて、話せない
第一章:準備に三時間、商談は四十分
「商談の準備に平均三時間かかっています。商談本体が四十分。比率がおかしいとは思っていますが、準備を減らすと質が下がる気がして、踏み切れていない」
Globex Corporation社の営業担当、田中亮氏は、そう言いながら資料ファイルをテーブルに置いた。PowerPointが十数枚、その下にExcelで作られた見積書が数枚。全て、来週の商談向けに今週作ったものだった。
「準備の三時間で、何をしていますか」と私は尋ねた。
「顧客の業界動向を調べること、競合との比較表を更新すること、見積書を今回の要件に合わせて作ること、提案書のサマリーを書くこと——この四つです」と田中氏が答えた。「毎回全部やっています」
「毎回、というのはゼロから作っていますか」とClaudeが確認した。
「前回の資料を流用して直しています」と田中氏が続けた。「でも、前回が別の業種だと作り直しのほうが多くなる。過去の資料がフォルダに二百本以上あるんですが、どれが使えるか探すのに時間がかかる。探して、直して、結局三時間です」
「他の営業担当者も同じ状況ですか」とGeminiが尋ねた。
「バラバラです」と田中氏が答えた。「同じ顧客に複数の担当者が提案したことがあって、資料のフォーマットが全く違いました。顧客から『担当によって説明が違う』と言われたことがあります」
「見積書はどうですか」と私が確認した。
「見積書は特に属人化しています」と田中氏が続けた。「計算式を個人で作ったExcelを使っているので、誰かが作った見積書を別の担当者が確認しようとすると、どこを見ればいいか分からない。引き継ぎのたびに一から教えることになります」
「AIエージェントの活用を考えていると聞きました」と私が確認した。
「考えています」と田中氏が答えた。「ただ、何をAIに任せて、何を自分でやるかが整理できていない。資料を全部AIに作らせると、顧客への温度感が変わる気がする。どこまで、という線引きを教えてもらいたい」
第二章:EMPATHYが問う七つの段階
「この案件には、EMPATHYが必要です」
Claudeがホワイトボードに七つの文字を書いた。E・M・P・A・T・H・Y。
「EMPATHYとは、Empathize・Map・Prototype・Analyze・Test・Harmonize・Yieldの七段階で、ユーザーの本質的なニーズを探りながら解決策を設計するフレームワークです」と私が説明した。「AI導入の文脈でこれを使う意味は、技術ありきで設計しないことにあります。田中氏が感じている『顧客への温度感が変わる』という懸念は、正しい問いです。EMPATHYは、その懸念を無視せず、解決策に組み込む手法です」
「まず現状のコストを測りましょう」とGeminiがROI Polygraphを開いた。田中氏と、同チームの営業担当者六名分の業務ログを入力する。
「月間の資料作成コストが出ました」とGeminiが読み上げた。「営業担当七名が週平均二商談、準備三時間で月百六十八時間。時給換算を営業職標準の四千円で月六十七万二千円。資料の検索・整理に月平均三十時間、月十二万円。見積書の属人化による引き継ぎ説明コストが月十五時間、月六万円。合計で月八十五万二千円が資料関連工数です。年間換算で一千二万四千円を超えます」
田中氏が数字を確認した。「七人で計算すると、こんな数字になるんですね」
「では、EMPATHYで設計します」と私が続けた。
[E——Empathize:営業担当者が感じている本当の不安]
「田中氏が感じている『温度感が変わる』という懸念を、もう少し言語化してもらえますか」とClaudeが言った。
田中氏が少し考えた。「AIが作った提案書を使うと、顧客に対して自分が何も考えていないように見えるかもしれない、という感覚です。資料を作る過程で、自分が顧客のことを理解する時間が生まれています。それがなくなることへの不安かもしれない」
「EMPATHYが最初に聞くのは、そこです」と私が言った。「解決策を決める前に、不安の正体を知る。田中氏の不安は、AIへの技術的な懸念ではなく、顧客理解のプロセスへの不安です。その不安を解決策に組み込む」
[M——Map:何がAIで、何が人間か]
「資料作成の四工程を、AIと人間に振り分けます」とGeminiが続けた。「業界動向の調査——AIが最新情報を収集し、サマリーを生成する。比較表の更新——AIが競合情報を収集し、表形式に整理する。見積書の作成——フォーマットと計算式をAIが統一し、入力は人間が行う。提案書のサマリー——AIが叩き台を生成し、人間が顧客への言葉に直す」
「最後の工程が残るんですね」と田中氏が確認した。
「残ります」とClaudeが答えた。「顧客への言葉に直す工程が、田中氏が感じていた『顧客のことを考える時間』です。その時間を残すことが、EMPATHYで設計する解決策の核心です。三時間が三十分になるのではなく、作業の三時間が顧客を考える三十分に変わります」
[P——Prototype:最小限の試作を作る]
「まず一つだけ試します」と私が続けた。「業界動向の調査サマリーを、AIに生成させて使ってみる。一回の商談だけで試して、顧客の反応を確認する。全工程を一度に変えない。一工程ずつ試す」
[A・T——Analyze・Test:数字で確認する]
「試作の結果を三つの数字で評価します」とGeminiが整理した。「準備時間が何分短縮されたか、商談中に顧客から得られた情報の量が変わったか、受注率に変化があったか。三ヶ月後に確認します」
[H・Y——Harmonize・Yield:全社に広げる]
「一名の成功体験が確認されたら、チームに広げます」とClaudeが言った。「ただし、強制しない。各担当者が自分のペースで取り入れる。フォーマットの統一は、見積書だけを先行して全社標準化します。提案書は、叩き台テンプレートを共有して、仕上げは各自に任せます」
「ROI Proposal Generatorで投資計画を試算しましょう」とGeminiが提案した。
AIエージェント導入コストと削減効果が並んだ。
- 初期費用:AIエージェント設定・見積書テンプレート統一・研修費用合計七十万円
- 月次費用:ツール利用料月五万円
- 月次削減効果:資料作成工数五十パーセント削減=月三十三万六千円、検索・整理削減=月六万円、引き継ぎ説明削減=月三万円、合計月四十二万六千円
- 月次純削減:四十二万六千円-五万円=月三十七万六千円
- 投資回収期間:七十万円÷三十七万六千円=約一・九ヶ月
「二ヶ月での回収です」とGeminiが整理した。「加えて、準備時間が減ることで商談数が増えれば、売上への貢献が別途生まれます」
田中氏が数字を見ながら言った。「顧客への温度感が変わらない設計なら、試せます」
「変わりません」とClaudeが答えた。「変わるのは、温度を伝えるための準備時間です」
第三章:三時間が、三十分になる前に
「進め方を整理します」と私がホワイトボードの前に立った。
「第一週——業界動向サマリーの自動生成テスト。田中氏が一商談で試す。第二週——比較表更新の自動化テスト。同じく一商談で試す。第三・四週——見積書テンプレートの統一。七名全員で同じフォーマットを使う。第二ヶ月——提案書サマリーの叩き台生成テスト。第三ヶ月以降——三つの数字で評価し、全社展開の範囲を決める」
「見積書の統一から始めない理由はなんですか」と田中氏が確認した。
「見積書の統一は、担当者の抵抗が最も強い変更です」とGeminiが答えた。「自分のExcelを変えることへの抵抗があります。EMPATHYの順序では、まず担当者自身がAIを使って便利だと感じることが先です。便利だと感じた後に、フォーマット統一の提案をすると受け入れられやすくなります」
田中氏が資料ファイルを閉じながら言った。「三時間が三十分になることより、その三十分で何をするかが変わることのほうが、大事な気がしてきました」
「EMPATHYが最終的に出すものは、時間の削減ではありません」と私が静かに言った。「削減した時間で、何ができるようになるかです」
第四章:叩き台を直す時間に、顧客のことを考えた
五ヶ月後、田中氏から報告が届いた。
業界動向サマリーの自動生成を試した最初の商談で、「準備の感触が変わった」と田中氏は報告書に書いていた。「AIのサマリーを読みながら、自分が知らなかった情報が入ってきた。それを踏まえて、顧客への問いかけを考えた。準備時間が減ったのではなく、準備の中身が変わった」
三ヶ月後、チーム七名全員がAIエージェントを使う工程を少なくとも一つ持つようになった。見積書テンプレートの統一は、二ヶ月で全社標準化が完了。引き継ぎの説明時間が「ほぼゼロになった」と田中氏は記していた。
受注率は三ヶ月間で八パーセント向上した。「資料の質が上がったというより、商談中に考える余裕が生まれた気がします」と田中氏は書いていた。
Globex Corporationの営業部長が、他部門にも展開を検討していると連絡が来た。成功事例として、田中氏が社内報告会で発表することになった。
叩き台を直す時間に、顧客のことを考えられるようになった日だった。
「準備に三時間、商談に四十分。その比率がおかしいと分かっていても、踏み切れない理由がある。EMPATHYが最初に聞くのは、その踏み切れない理由だ。田中氏の場合、不安は技術ではなく、顧客を理解するプロセスへの愛着だった。AIが奪うのは調査の時間で、顧客への問いかけは残る。叩き台を直す三十分に、顧客のことを考えた営業担当者の受注率が、三ヶ月で八パーセント上がった」
関連ファイル
使用ツール
- ROI Polygraph — 資料作成工数・見積書属人化コストの可視化
- ROI Proposal Generator — AIエージェント導入の投資回収シミュレーション